表層に流されないために

  • 2012.01.04 Wednesday
  • 11:28
JUGEMテーマ:日記・一般

今にも薫ってきそうな蠟梅(ロウバイ)のどうぞ!毎年、寒さの中で馥郁たる香りを漂わせてく
れるこの花が好きです。蠟梅に出会ったのは、17年前の冬。友人宅を訪れたときに、玄関先
で何とも言えないいい香り。それが蠟梅との出会いでした。それ以来、この冬の寒さにも負け
ないで咲くこの花を見る度に元気をもらっています。この香りがブログで伝えられないのが残
念です。

     
     蠟梅(ロウバイ)の花 筑紫野市天拝公園にて 2011年12月29日撮影

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私が最近よく読んでいるブログを紹介します。それは内田 樹(うちだたつる)氏の「内田樹の研
究室」というブログです。氏の視点をとても面白く読んでいます。その面白さを一言で言うと「表
層に流されない視点」と言うことができるのではないかと思います。昨今の日本の世相は、表面
的なことで右往左往していて、その根本にあるものを見ない傾向が強いように思えるからです。

そのような中にあって、内田氏の視点はそこにいる人たちの「生き方」を見ようとしており、まさ
に「表層に流されない」視点ではないか、その根底にある考え方、生き方を問う論の展開をして
います。しかも、哲学などには縁遠い私たちに、具体的な事象を捉えて、分かり易く氏の考えを
述べてくれています。

新聞やテレビでいまどきの売れている評論家やコンサルタント、タレントの皆さんが、何ら新鮮
味もなく、創造的でもないお話しをされているのを見るにつけ、もっと根本的な視点があるはず
だと思っていました。ところが、内田氏の著書「日本辺境論」(新潮新書336)に出会って、この
ような視点(表層ではなく、深層をみる視点)を忘れかけているのではないかと気づきました。

と言うことで、最近読んだ内田氏のブログ(内田樹の研究室 http://blog.tatsuru.com/
から引用させて頂き、その面白さを紹介したいと思います。
※内田氏はご自分のブログの引用転載を認められているので、今回遠慮なく転載させてもらい
ました。

内田樹の研究室 2011.11.25 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

タイトル「『百年目』のトリクルダウン」(抜粋)

子守康範が今朝の新聞記事から、ユニクロの柳井会長兼社長の「グローバル人材論」を選ん
だので、それについてコメントする。

柳井のグローバル人材定義はこうだ。「私の定義は簡単です。日本でやっている仕事が、世界
中どこでもできる人。少子化で日本は市場としての魅力が薄れ、企業は世界で競争しないと成
長できなくなった。必要なのは、その国の文化や思考を理解して、相手と本音で話せる力です。」

ビジネス言語は世界中どこでも英語である。「これからのビジネスで英語が話せないのは、車
を運転するのに免許がないのと一緒」。だから、優秀だが英語だけは苦手という学生は「いらな
い」と断言する。

「そんなに甘くないよ。10年後の日本の立場を考えると国内でしか通用しない人材は生き残れ
ない。(・・・)日本の学生もアジアの学生と競争しているのだと思わないと」「3−5年で本部社員
の半分は外国人にする。英語なしでは会議もできなくなる」これは「就活する君へ」というシリー
ズの一部である。

私は読んで厭な気分になった。たしかに一私企業の経営者として見るなら、この発言は整合的
である。激烈な国際競争を勝ち残るためには、生産性が高く、効率的で、タフで、世界中のどこ
に行っても「使える」人材が欲しい。国籍は関係ない。社員の全員が外国人でも別に構わない。
生産拠点も商品開発もその方が効率がいいなら、海外に移転する。

この理屈は収益だけを考える一企業の経営者としては合理的な発言である。だが、ここには「国
民経済」という観点はほとんどそっくり抜け落ちている。国民経済というのは、日本列島から出ら
れない、日本語しか話せない、日本固有のローカルな文化の中でしか生きている気がしない圧
倒的マジョリティ(多数派)を「どうやって食わせるか」というリアルな課題に愚直に答えることであ
る。

端的には、この列島に生きる人たちの「完全雇用」をめざすことである。老人も子供も、病人も健
常者も、能力の高い人間も低い人間も、全員が「食える」ようなシステムを設計することである。「
世界中どこでも働き、生きていける日本人」という柳井氏の示す「グローバル人材」の条件が意味
するのは、「雇用について、『こっち』に面倒をかけない人間になれ」ということである。雇用につい
て、行政や企業に支援を求めるような人間になるな、ということである。そんな面倒な人間は「い
らない」ということである。そのような人間を雇用して、教育し、育ててゆく「コスト」はその分だけ企
業の収益率を下げるからである。

ここには、国民国家の幼い同胞たちを育成し、支援し、雇用するのは、年長者の、とりわけ「成功
した年長者」の義務だという国民経済の思想が欠落している。企業が未熟な若者を受け容れ、根
気よく育てることによって生じる人件費コストは、企業の収益を目減りさせはするが、国民国家の
存立のためには不可避のものである。

落語『百年目』の大旦那さんは道楽を覚えた大番頭を呼んで、こんな説諭をする。「一軒の主を
旦那と言うが、その訳をご存じか。昔、天竺に栴檀(せんだん)という立派な木があり、その下に
南縁草(なんえんそう)という汚い草が沢山茂っていた。目障りだというので、南縁草を抜いてしま
ったら、栴檀が枯れてしまった。調べてみると、栴檀は南縁草を肥やしにして、南縁草は栴檀の
露で育っていた事が分かった。栴檀が育つと、南縁草も育つ。栴檀の”だん”と南縁草の”なん”
を取って”だんなん”、それが”旦那”になったという。

こじつけだろうが、私とお前の仲も栴檀と南縁草だ。店に戻れば、今度はお前が栴檀、店の者が
南縁草。店の栴檀は元気がいいが、南縁草はちと元気が無い。少し南縁草にも露を降ろしてや
って下さい。」これが日本的な文字通りの「トリクルダウン」(つゆおろし)理論である。

新自由主義者が唱えた「トリクルダウン」理論というのは、勝ち目のありそうな「栴檀」に資源を集
中して、それが国際競争に勝ったら、「露」がしもじもの「南縁草」にまでゆきわたる、という理屈
のものだった。だが、アメリカと中国の「勝者のモラルハザード」がはしなくも露呈したように、新
自由主義経済体制において、おおかたの「栴檀」たちは、「南縁草」から収奪することには熱心だ
ったが、「露をおろす」ことにはほとんど熱意を示さなかった。

店の若い番頭や手代や丁稚たちは始末が悪いと叱り飛ばす大番頭が、実は裏では遊興に耽っ
て下の者に「露を下ろす」義務を忘れていたことを大旦那さんはぴしりと指摘する。『百年目』が
教えるのは、「トリクルダウン」理論は「南縁草が枯れたら栴檀も枯れる」という運命共同体の意
識が自覚されている集団においては有効であるが、「南縁草が枯れても、栴檀は栄える」と思っ
ている人たちが勝者グループを形成するような集団においては無効だということである。

私が「国民経済」ということばで指しているのは、私たちがからめとられている、このある種の「植
物的環境」のことである。「そこに根を下ろしたもの」はそこから動くことができない。だから、Aか
らBへ養分を備給し、BからAへ養分が環流するという互酬的なシステムが不可欠なのである。

柳井のいう「グローバル人材」というのは、要するに「どこにも根を持たない人間」のことである。
だから、誰にも養分を提供しないし、誰からも養分の提供を求めない。労働契約にある通りの仕
事をして、遅滞なくその代価を受け取る。相互支援もオーバーアチーブも教育も、何もない。

そういうふうに規格化されて、世界どこでも互換可能で、不要になればそのまま現地で廃棄して
も構わないという「人材」が大量に供給されれば、企業の生産性は高まり、人件費コストは抑制
され、収益は右肩上がりに増大するだろう。

繰り返し言うが、一私企業の経営者が求職者たちに「高い能力と安い賃金」を求めるのは、きわ
めて合理的なふるまいである。だが、そんなことが続けば、いずれ日本国内の「南縁草」は枯死
する。多国籍企業はそのときには日本を出て、「南縁草」が繁茂している海外のエリアに根を下
ろして、そこで新たな養分を吸い上げるシステムを構築するだろう(そして、そこが枯れたらまた
次の場所に移るのだ)。

後期資本主義の「栴檀」たちは『百年目』の船場の大店と違って、「根を持たない」から、そういう
ことができる。誤解してほしくないが、私はそれが「悪だ」と言っているわけではない。現代の企業
家にとって金儲けは端的に「善」である。けれども、『百年目』の時代はそうではなかった。私はそ
の時代に生きていたかったと思う。それだけのことである。

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以上が、内田氏のブログからの転載です。皆さんはどう思われますか?ユニクロの柳井氏と言
えば日本経済界をけん引する人の一人として注目されている方です。氏の言動は影響力を持っ
ていると言われています。その柳井氏の新聞取材記事について内田氏の論評を読んで、テレビ
や新聞の論調に、氏が訴えようとするこの視点(表層に流されない本質的なものをみる視点)が
弱い、もしくは抜け落ちているように思えてならないのです。
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