道真公に想う
- 2012.03.06 Tuesday
- 10:19
3月に入って今日で6日。なかなかスッキリとしたお天気に恵まれません。青空が拡がれば
野山にハイキングという気持ちなのですが、・・・。
3月3日に久しぶりに晴れました。さっそくカメラを肩に散歩に出かけました。気温も急上昇し
て3月下旬並みの陽気ということです。1週間ぶりに歩いてみると、白梅の花が咲き始めてい
ました。早咲きの紅梅は散り初めていて、その樹の下はピンクの絨毯を敷いたようでした。
★綻び始めた白梅の花。今にも綻びそうな蕾もたくさん。 3月3日 天拝山山麓にて
梅の花はこの時期の花を代表するものです。私の住んでいる筑紫野はその昔、太宰府に左
遷された菅原道真(註1)の所縁の地が多くあり、その関係で梅の花も多くの人から愛されて
います。梅の花が咲き始めると、公の詠んだ「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なし
とて 春な忘れそ」という有名な和歌を思い浮かべる人も多いことでしょう。
※註1:845年〜903年、平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。宇多天皇に重用されて、醍醐朝では右大
臣にまで昇進。しかし、左大臣藤原時平に讒訴(ざんそ)され、大宰府へ権帥として左遷され現地で没す。
京都で大学時代を過ごしましたが、春になると梅の名所の北野天満宮に何度も出かけました。
この神社が菅原道真公を祀って1000年前に建立されたことは知っていましたが、歴史的建
造物としてしか意識していませんでした。公の詠んだ和歌も、その悲しさ寂しさなども深く感じ
ることはありませんでした。
ところが今、この年齢になり、また道真公ゆかりの地“筑紫野”に住んで、あの和歌をどのよ
うな気持ちで詠まれたのかを改めて思うと、讒言(註2)されて、不本意なまま九州に左遷され
る公の気持ちが痛いほど伝わってくるような気がします。本当に悔しかっただろうし、悲しかっ
たろうし、苦しかったのではないでしょうか。
註2:讒言(ざんげん):事実を曲げたり、ありもしない事柄を作り上げて、その人のことを目上の人に悪く言うこと
註3:道真公の太宰府左遷の際、4人の子どもたちも流罪にされ、一家離散の目に遭っています。
道真公は太宰府に来られてわずか2年あまりで亡くなっています。私がいつも登っている天
拝山に登り、自らの潔白を天に訴え、その冤罪を晴らそうと祈られたと言われています。昔
は「天拝山」ではなく「天判山」(天に真の判断を願った山)と呼ばれていて、頂上には天拝神
社、山麓には御自作天満宮など道真公を祀る場所が多くあり、それに触れるたびに、公の無
念さ、世の中の無常を感じます。
★天拝山山麓にある道真公を祀る御自作天満宮 2月19日大雪の日に撮影
・・・・・・わずか2週間余り前とは思えないような雪景色ですね。
1000年以上も前のこような悲劇が道真公という人物の身の上を通して伝わってきます。同
時にこのような対立や反目は、1000年後の今も続いています。紛争や戦争はその極端な
ものですが、日本だけでなく世界中で様々な争いが繰り返されています。
私はそれを“人間の性”にしたくありません。「人間とはそういうもの」「人間には闘争本能が
ある」と、決めつけたくはないのです。もういい加減に争いは止めて、仲良く助け合って生き
ていってはどうなのでしょうか。これだけ文明を発達しています。知恵も心も寄りやすくなる
環境は整っています。
私はそういう「なかよしな世界」を目指して、今の自分に出来ることは何かと考えて生きてい
こうと思っています。いつでもどこでも誰とでも仲良く、助け合って生きていくことが出来れば
本当に幸せなことだと思います。
天拝山の麓に武蔵寺という藤の花で有名なお寺がありますが、今月の言葉として写真のよ
うな言葉が本堂の前に掲げてあります。「寒さにふるえた者が、暖かさを知る」と掲げてあり
ます。
★武蔵寺 本堂に毎月掲げられる言葉 3月はこの言葉です。 3月3日撮影
解釈はそれぞれの人に任されるのでしょうが、私には次のように思えました。「苦労をした人は
苦労をしたからこそ、人の温かさをより感じることが出来る。だから、今は苦しくても、そのこと
はきっと幸せになることに繋がっているのだよ。」と。
今の混沌とした世の中を、明日への希望を持って生きていくことで、この言葉が実感できる日
がやってくるのではないでしょうか。もう争うことに知恵や心や物資・経済を使うことを止ましょう。
心を寄せて助け合い、支え合い、仲良く生きていきましょう。
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